運動不足について考える
今週のお題「運動不足」
多趣味だと自覚している中で変わらずに続けていることがランニングである。
不定期ではあるがyoutubeでストレッチやトレーニング動画を見て実践したりもする。
つまり私は運動不足ではない。
体育会系というわけでもないので体を動かさずには生きていけないという性質でもない。暇さえあれば読みたい本がたくさんあるので時間を分けてほしいくらいだが、定期的に体を動かしたくなるのはおそらく運動に関しての切り口が違うのだ。
若い時の運動とは、身体能力の向上や部活動の結果を出すなど目標達成の一ツールであった。大人になって同じように目標を立てて進めるのもよいが身体的衰えや捻出する時間的余裕の有無で結局はやめてしまう人も多い。
ではなぜ私は走るのか。理由をいくつか挙げると
- 自分の好きなことを楽しめるのが体を動かしているとき
- 自分とちゃんと話しあう時間を作るため
- 身体の不調の改善
である。
運動中に自分の好きなことを楽しむ
もっぱら走るときは音楽を聴いてる。
走ってるときに聞く音楽はより躍動的に感じる。
青春パンク上がりで音楽を聴くと無性に体がうずいた10代のころそのままで
今も音楽を聴くと走りたくなる。
当然聞く音楽性にもよるが僕が聞きたくなる曲は体を動かしてるときに聞くとよりよく聞こえる。
運動とは別の話だが部屋の掃除をするときに聞くbeatlesのwhite albumは格別である。
そんな感じで自分の好きなものを満喫するには適した場面があるのかもしれない。
僕にとってそれはランニング中らしい。
自分と話し合う時間を作る
休みの日にわざわざ早起きして走るのはしんどいことと思われがちだが朝のまだ澄んだ空気の中運動する時間はとても心が洗われる。
自分自身に負荷をかける行為は自分自身を気遣う行為でもある。
先週走った時よりもペースや距離が延びなければ疲れがたまっているのではないかとわかる。
また、身体が動いているときは同じく頭も動いている。
一日の初めに何かしら達成感を得るとその後の時間も心地よく過ぎていく。
悩みというものは汗と一緒に流れていくものなのかもしれない。
身体の不調の改善
結局のところこれが一番の理由になる。
どれだけ心が健康でも体は老いる。
長年のデスクワークのせいで慢性的な肩こりに悩まされていた私は整骨院で身体を見てもらった時背筋を付けたら改善するよと言われた。
良い時代になったものでトレーニングの仕方もyoutubeで簡単に出てくる。
運動は目的ではなく不調の改善のツールなのだととらえるとより身近なものになる。
そして肩こりが和らいだ私は珍しく小説が読みたい時期のようで立て続けに村上春樹の本を何冊か読んだ。昔読んで内容も忘れてたが、あまりにも名作だった。書評はたくさんの誰かが挙げてるので私は書かないが読書の秋におすすめである。